2017年・・・1月7日

 1949年、昭和24年、1ドル=360円の固定為替相場制となる。

 この年、日本人初のノーベル賞湯川秀樹博士が受賞する。

 

 僕は中学生となり、充実した学生生活を過ごしていた。

部活は美術部に入った。 部長は勿論、美術の先生。 先生は二科会の会員で

上野美術館で催された二科展に連れて行ってくれた。 友人のアトリエに連れて

行ってプロの絵描きさんの仕事場を見せて貰ったのが印象的だった。 然し、

僕には絵画という平面的な表現には興味が持てず、才能も無いことだし、高校

受験のほうに関心が移っていった。

 

 この中学というのは六本木の近くにあった。戦後の教育熱が盛んだった

こともあり、熱心な先生がおられた。 何十年後の今でも鮮明に記憶が蘇る、

数学のK先生、英語のN先生、漢文・国語のK先生、家庭科のT先生。 

特に、英語のN先生は青学のアイスホッケーの選手だったそうで、色白で

ハンサム、今流のイケメンで独身だったから、女子学生の注目の的だった。

然し、このイケメン先生が英語教育に猛烈に熱心で、米軍将校の奥さんを

数名呼んできて、我々に生の英語を聞く機会を作ってくれた。

 

 当然ながら、この時代はアメリカにかぶれ、あこがれ、僕などはその先頭

にいたように思う。 日本のものはすべて悪い、間違っているという偏見も

持ったようだ。 とにかく、中学時代が僕の精神的な支柱を作ったのである。

日本の文物軽視、西洋文化を有難がる気風が沸き上がったのは、この後すぐ

である。

 

 1950年、昭和25年という年は切りの良い年号である。この年は

朝鮮半島で北の共産軍と南の民主主義勢力の間に朝鮮戦争が勃発、北緯38

度線で北朝鮮と韓国に分裂。 然し、日本経済にとっては有難いカンフル剤

となった。