2017年1月11日 8年間のニューヨーク駐在
1972年、昭和47年、36才で二回目のニューヨーク駐在となる。
この年のニュースとしては沖縄返還が大きい。
我が家族にとっては、日本と違うことが多く、二人の男の子にとっては
得難い経験をしたものだ。
先ず、部屋が広く、部屋数も多い。 冬でも室内は半袖の下着で過ごせる。
全ての住居は半地下があり、地下室にはボイラー室があり、重油でスチーム
暖房と給湯を行う。
子供たちは公立の学校に編入して貰ったが、最初に一対一で英語の特訓が
あり、現地の子供と対等に授業を受けられるようになる。
日本と違う点は体育の時間が無いこと。 先輩に教わり、母親がYMCAの
プールに連れて行って水泳をさせた。 夏休みは日本の林間学校と同じ
ものがあり、大学生や高校生が面倒をみてくれる。 バーベキューを
頻繁にやるし、乗馬、射撃など日本では出来ない経験も出来た。
家族でナイヤガラの滝を見に行ったのも懐かしい。
正月休みは時間に余裕があり、フロリダのデイズニーワールドに車で
行ったが、片道千マイル、1600キロだから、往きは途中モーテル1泊の
2日がかり、目的地では1泊のみ、帰りも2日がかりで帰った。
目的地のホテルでは大晦日のカウントダウン・ダンス・パーティーに
参加した。 ミッドナイト・パーティーだから、子供たちは部屋に
寝かせてからだった。
帰りにチェサピーク・ベイ・アンド・トンネルという日本の東京湾
アクアラインの先輩格の名所を通って帰った。 牡蠣が安くて大きくて
美味しかった。
別の正月のバーミューダ島旅行は散々だった。ツアーで行ったのだが、
ホテルはシャワーの出が悪く、暑いところで、それは無い。エクストラ
を払って上級のホテルに変えた。そのホテルの名前は忘れたがビーチの
真ん前にあり、そばの中華料理の店も豪華で、やはり、ツアーではなく
良く調べて単独で予約すべきと分かった。
いろいろ、遊ぶことが出来るが子供が小さいので、ゴルフをやっただけ。
日本では1978年、昭和53年、成田空港がオープンした。
1980年、昭和55年、8年間という長期駐在を無事終えて、成田空港に
帰って来た。 この時、私は44才。