ショパンを熱愛したジョルジュ・サンド

「ピアノの詩人」ショパンとフランスの女流作家ジョルジュ・サンドとの

熱愛物語は誰でも知っています。 そしてショパンを知らない人はいません。

しかし、ジョルジュ・サンドについてはどうでしょうか。

 

実は、私の好きな音楽家はチャイコフスキーであり、ショパンは特に好きでは

ありませんでした。 しかし、最近知り合いの女性がショパン好きと知り、

CDを買い込み、改めて80曲ほど聴いて見ました。 そのうち8曲は誰でも

知っている曲でした。

 

ついでにショパンのことをネットで検索して調べてみました。 

ショパン贔屓の記事ではサンドはショパンを療養のために地中海のマジョルカ島

連れて行ったが、雨と低温という天候が病気には逆効果となり寿命を縮めた。 

パリに戻ってからは自宅に男たちを呼んで色目を使い、ショパンを嫉妬で苦しめた。 その挙句、9年間の同棲生活の後にサンドがショパンを捨て、ショパンは2年後

39才の若さで世を去った。 

つまり、サンドはショパンを弄んで捨てたということになっている。

 

そこで、サンドの代表的な作品のうち「愛の妖精」を選び、読んでみました。

主人公のファデットはサンド自身と思われ、となると上記のサンドの見方とは違い、

サンドは愛する男性を心から想いやる暖かい女性に思えるのでした。

 

ジョルジュ・サンドというのはペンネームで本名はオーロール・デユパン。

パリで1804年に生まれたが、この年はナポレオンが皇帝の地位についた年。

1822年18才で田舎の貴族ドユドヴァン男爵と結婚、1男1女をもうけるが、

退屈な夫を捨てて子供たちを連れてパリに出る。 生活のために文筆活動に入る。

1831年27才で恋人のジュール・サンド―と共著で処女作「ばら色の雲」を発表。

ここから、ジョルジュ・サンドという男名前をペンネームにした。

同時に動きやすいという理由で男装で社交界に出入りし、1833年詩人の

ミュッセと、その後、医師パジェロ、音楽家リストなどと交際、恋愛をテーマに

次つぎと小説を発表。

1838年34才のとき28才のショパンと熱愛関係になる。 

1840年台にマルクスバクーニンなどの政治思想家と交流、女性の地位向上

をかかげて政治活動に参加。 

1848年の2月革命で第二共和制となり、サンドの活動は失敗、郷里のノアンに

引きこもり、文筆活動に専念する。

ヴィクトル・ユーゴ―、ギュスターブ・フローベールなど多くの文学者と友情を

結び、女流作家の先駆者となった。

 

サンドの作品は今後読んでみたいと思っているが、200年前の作家、女性とは

思えない。