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パッチワーク・キルト「絹の着物を生き返らせる」

パッチワーク・キルトは海外の方が盛んです。

然し、日本にはクール・ジャパンと言われるような

或いは、ジャパン・キルトと呼んでも良いような

作品があることをご存知でしたか?

見れば一目瞭然ですが、「絹キルト」という分野が

あります。

作者は先ず絹の生地を求めて古着市とか骨董市に

出掛けて、絹の古着を見て回ります。 気に入った

ものは、当然良いものですから、相手も強気です。

それを、値切るのが大変でもあり、面白くもあるようです。

持ち帰った着物をほどいて、洗って干して乾かし、アイロンを

掛けて下準備が終わりですが、結構、手間がかかり大変です。

いよいよ、デザインにかかります。 下調べには十分手間と

時間をかけます。 出来上がりをイメージするところです。

創作欲が渦巻き、一番面白いステージです。

 

絹のキルトは本物の着物の生地を素材に使うので、光沢、手触り、

柄など、見所が多く、いわば贅沢品ですから、外国人に人気が

あります。 ただ、売るために作るのではないので、そこも

面白い所です。 海外のエンターテイナーが日本公演で来日し、

もし、目にすると、自宅に飾りたくなり、どうしても欲しくなり、

値段を聞きますが、値段はありません。 作者の方は我が子の

ようなものですから、お話しになりません。 でも、作者も

有名人にそこまで欲しがられると、ダメもとで買えないような

値段をつけます。 それで1点で百万円ということもあります。

それほどの大作ではありませんが、ヨーコ・オノさんがホテル

オークラの地下の展示ブースで見て、麻布十番の店に来られて

買っていかれた作品と同じものの写真を下に載せておきます。

タイトルは「HIMEDARUMA](姫だるま)です。但し、これは

赤ちゃんの上掛け布団でサイズは100㎝ x 117㎝と小さいです。

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パッチワークの世界

ブログというのは文章だけでなく写真も投稿して

良いようですね。 であれば、さらに広げて趣味で

作っているものの写真も一興と思いますが如何でしょう。

我が家では過去10年位パッチワーク作品および関連グッヅ

を写真に収めてきました。

皆さんの目を楽しませることになれば幸いです。

 

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ショパンを熱愛したジョルジュ・サンド

「ピアノの詩人」ショパンとフランスの女流作家ジョルジュ・サンドとの

熱愛物語は誰でも知っています。 そしてショパンを知らない人はいません。

しかし、ジョルジュ・サンドについてはどうでしょうか。

 

実は、私の好きな音楽家はチャイコフスキーであり、ショパンは特に好きでは

ありませんでした。 しかし、最近知り合いの女性がショパン好きと知り、

CDを買い込み、改めて80曲ほど聴いて見ました。 そのうち8曲は誰でも

知っている曲でした。

 

ついでにショパンのことをネットで検索して調べてみました。 

ショパン贔屓の記事ではサンドはショパンを療養のために地中海のマジョルカ島

連れて行ったが、雨と低温という天候が病気には逆効果となり寿命を縮めた。 

パリに戻ってからは自宅に男たちを呼んで色目を使い、ショパンを嫉妬で苦しめた。 その挙句、9年間の同棲生活の後にサンドがショパンを捨て、ショパンは2年後

39才の若さで世を去った。 

つまり、サンドはショパンを弄んで捨てたということになっている。

 

そこで、サンドの代表的な作品のうち「愛の妖精」を選び、読んでみました。

主人公のファデットはサンド自身と思われ、となると上記のサンドの見方とは違い、

サンドは愛する男性を心から想いやる暖かい女性に思えるのでした。

 

ジョルジュ・サンドというのはペンネームで本名はオーロール・デユパン。

パリで1804年に生まれたが、この年はナポレオンが皇帝の地位についた年。

1822年18才で田舎の貴族ドユドヴァン男爵と結婚、1男1女をもうけるが、

退屈な夫を捨てて子供たちを連れてパリに出る。 生活のために文筆活動に入る。

1831年27才で恋人のジュール・サンド―と共著で処女作「ばら色の雲」を発表。

ここから、ジョルジュ・サンドという男名前をペンネームにした。

同時に動きやすいという理由で男装で社交界に出入りし、1833年詩人の

ミュッセと、その後、医師パジェロ、音楽家リストなどと交際、恋愛をテーマに

次つぎと小説を発表。

1838年34才のとき28才のショパンと熱愛関係になる。 

1840年台にマルクスバクーニンなどの政治思想家と交流、女性の地位向上

をかかげて政治活動に参加。 

1848年の2月革命で第二共和制となり、サンドの活動は失敗、郷里のノアンに

引きこもり、文筆活動に専念する。

ヴィクトル・ユーゴ―、ギュスターブ・フローベールなど多くの文学者と友情を

結び、女流作家の先駆者となった。

 

サンドの作品は今後読んでみたいと思っているが、200年前の作家、女性とは

思えない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年1月14日 歴史の早送り最終章  

 2005年、平成17年、郵政民営化により3事業がスタートする。

 

 2006年、平成18年、iPS細胞を京都大学のグループを率いる山中伸弥氏が

完成し、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞する。

 

 2007年、平成19年、アメリカの低所得者向け住宅ローンの返済停滞から

証券大手リーマン・ブラザースが史上最大の64兆円の負債を抱えて倒産、

世に言う「リーマン・ショック」が世界的な経済危機を引き起こした。

日経平均株価が6994円の安値をつけた。

 

 2011年、平成23年、M9.0の『東日本大震災』発生、死者1万5千名の

大惨事。 原発で初めてメルトダウンの事故が起き、被爆被害が発生。

円相場が1ドル=75円と最高値をつけた。

 

 2012年、平成24年、東京スカイツリー 634米(ムサシ)完成。

心臓の冠動脈にカテーテルを入れ、数本ステントを入れた。

 

 2013年、平成25年、富士山が世界文化遺産に登録された。

2020年オリンピックが東京開催に決定。

日経平均株価が1万6291円まで回復。

心臓は至って元気で、他には障害も無く、77才の喜寿に到達。

 

 2014年、平成26年、青色LED発明で天野浩、赤崎勇、中村修二氏らに

ノーベル賞が授与される。

消費税が8%にアップされた。 日経平均株価 1万7450円をつける。

 

 2015年、平成27年、日経平均株価が2万円を越し、2万235円をつけた。

円相場が1ドル=122円と円安になった。

パリでイスラム国による同時多発テロが発生。

 

12年前の平成15年くらいから前立腺癌に対するPSA検査が始まり、

5.0と微妙な数値で専門医にも診て貰ったが、大したことがないようで、

放置していた。 重症の頻尿で検査したらPSAが270と大変なことに

なっていた。 リンパ節から全身の骨にまで転移しており、放射線照射と

ホルモン療法でPSAが0.35迄下がったが、冷や冷やしながら年を越した。

 

 2016年、平成28年、東京工業大学大隅良典榮譽教授が電子顕微鏡

使ってオートファジーを解明し、ノーベル生理学・医学賞を授与される。

リオデジャネイロ・オリンピックが開催される。 

米国大統領として初めてオバマ大統領が広島訪問。

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安倍首相、オバマ大統領と共に真珠湾慰霊祭出席。

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ドナルド・トランプ氏米大統領に当選。

 

前立腺癌は大人しくなったが、筋肉の衰えが目立った年だった。

脳のほうはボケどころか、急に活発になり、放射線の影響なのか、

それとも、最後の悪あがきなのか、今後に不安は残る。

 

 2017年に先ずやりたかったこと。生れてから80才まで自分としては

常にベストの選択をしながら生きて来たものの、まわりのことには

気を使わないで来てしまったと思う。だから、ここで自分の過去が

歴史の流れとどのように絡んできたのか検証し、それから、覚悟なり、

プランを考えてから、81才をスターとしたいと思い、一応完了した。 

今は、実に清々しく、さっぱりした心境である。

これからは、ゆっくりと、世の中の動きを睨みつつ、やりたいことを

やりながら、それをブログに記録していくつもり。

 

 

 

 

2017年1月13日 13日の金曜日

 欧米では13日の金曜日は嫌われているが、日本ではどうなのだろうか。

今日も何事も無く終わりそうでめでたい。 

 

 1983年、昭和58年、東京デイズニーランドがオープンした。

1985年、昭和60年は「民営化」の年だった。 日本電電公社(NTT)と

日本専売公社JT)が誕生した。 国鉄が分割民営化されたのは1987年

昭和62年だった。

 

 1986年、昭和61年、バブルで日本の経済が大揺れ。 

私は、小さなバブルを見付けて、それに乗って人生を再スタートさせた。

25年続けたサラリーマン生活に自分から別れを告げて、自分の腕に

残る人生を賭けたのである。 このとき、私は丁度50才であった。

 

 青函トンネルが開通、瀬戸大橋が完成したのは1988年、昭和63年、

昭和の最後のプレゼントになった。

 

 1989年、昭和64年に入った途端に時代は『平成』に変わった。

3%の消費税がスタートした。

 

 1990年、平成2年、歴史的には大事件の東西ドイツ統一。

 

 1995年、平成7年、阪神・淡路大震災が発生。 マグニチュード7.3、

死者 6500名。 オウム真理教による地下鉄サリン事件発生。 

決して忘れてはいけない年だったのだ。

 

 1997年、平成9年、消費税 5%に値上げ。 

イギリスが香港を中国に返還。 どうなることかと心配していたが、

20年近く経ったら、やはり、ぎくしゃくしてきた。

 

 1998年、平成10年、長野オリンピック開催。 一度に「長野」の

名前が世界に広まった。

 

 1999年、平成11年、ポルトガルがマカオを中国に返還。

 

 記念すべき21世紀にふさわしく、2001年、平成13年、

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンUSJ) 開園。

然し、アメリカではニューヨーク貿易センタービル2棟ほか、航空機

激突による、いわゆる「9.11同時多発テロ」勃発。 死者3千人の

大惨事となる。

 

 ここまでで65才、ついに、無事年金受給者になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年1月11日 8年間のニューヨーク駐在

 1972年、昭和47年、36才で二回目のニューヨーク駐在となる。

この年のニュースとしては沖縄返還が大きい。

 

 我が家族にとっては、日本と違うことが多く、二人の男の子にとっては

得難い経験をしたものだ。

 

 先ず、部屋が広く、部屋数も多い。 冬でも室内は半袖の下着で過ごせる。

全ての住居は半地下があり、地下室にはボイラー室があり、重油でスチーム

暖房と給湯を行う。

 

 子供たちは公立の学校に編入して貰ったが、最初に一対一で英語の特訓が

あり、現地の子供と対等に授業を受けられるようになる。 

 

 日本と違う点は体育の時間が無いこと。 先輩に教わり、母親がYMCAの

プールに連れて行って水泳をさせた。 夏休みは日本の林間学校と同じ

ものがあり、大学生や高校生が面倒をみてくれる。 バーベキューを

頻繁にやるし、乗馬、射撃など日本では出来ない経験も出来た。

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家族でナイヤガラの滝を見に行ったのも懐かしい。

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 正月休みは時間に余裕があり、フロリダのデイズニーワールドに車で

行ったが、片道千マイル、1600キロだから、往きは途中モーテル1泊の

2日がかり、目的地では1泊のみ、帰りも2日がかりで帰った。

目的地のホテルでは大晦日のカウントダウン・ダンス・パーティーに

参加した。 ミッドナイト・パーティーだから、子供たちは部屋に

寝かせてからだった。

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 帰りにチェサピーク・ベイ・アンド・トンネルという日本の東京湾

アクアラインの先輩格の名所を通って帰った。 牡蠣が安くて大きくて

美味しかった。

 

 別の正月のバーミューダ島旅行は散々だった。ツアーで行ったのだが、

ホテルはシャワーの出が悪く、暑いところで、それは無い。エクストラ

を払って上級のホテルに変えた。そのホテルの名前は忘れたがビーチの

真ん前にあり、そばの中華料理の店も豪華で、やはり、ツアーではなく

良く調べて単独で予約すべきと分かった。

いろいろ、遊ぶことが出来るが子供が小さいので、ゴルフをやっただけ。

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 日本では1978年、昭和53年、成田空港がオープンした。

 

 1980年、昭和55年、8年間という長期駐在を無事終えて、成田空港に

帰って来た。 この時、私は44才。

 

2017年1月10日 アポロ11号月面着陸

 ニューヨーク駐在は当初5年の予定で、2年過ぎたら長男と妻を呼べる筈

だった。ところが、「水さかずき」をして別れ、本当に死に目にあえずに

父が世を去り、私が長男の一人っ子で、その上、結婚式の時仲人をして

くれたのが、専務で本部長だったためか、会社は予定変更、2年で帰国

させてくれることになった。

 

 何という運命か、あと2週間で帰国というとき、今度は母が緊急入院の

知らせが入り、急いで帰国したが「破傷風」という現代では考えられない

病気で「しゃっくり」のようなけいれんで苦しんでいるので麻酔をかけて

ある状態だった。だから、話は出来ず、息子が帰国したことは分からずに

父のあとを追ってしまった。父の百か日を待たずだから、まるで、後追い

心中であった。 

 

 1967年、昭和42年のことだった。 然し、母の生まれ変わりのように

翌年、次男が誕生、両親の最後の贈り物のような気がした。

 

 1968年、昭和43年、日本人初のノーベル文学賞川端康成氏が受けた。

東名高速道路が開通したのも良い大事件だった。

 

 翌1969年、昭和44年、アポロ11号が月面軟着陸に成功。

 

 1973年、昭和48年には第一次オイル・ショックが起こり、大パニックが

起きた。

 

 為替レートが変動相場制に移行、円高が進む。 誰が1ドル=百円割れを

予想出来たか。

 

 私は二回目のニューヨーク駐在。