老 人 の 愛 と 性

 

 最近、何かで高齢者の愛と性の話が「いい年をして」という言い方で片付け

られたのを見て、異論を唱えたくなった。

 

 筆者は80才と十分に老人の男性であり、人生経験も人並みか、それ以上と

自負している。

 

 高齢の男女がからんだ愛とか性を取り上げた小説、ドラマは少ない。

 

 筆者は2014年に亡くなられた渡辺淳一氏のファンで、長編小説は殆んど

所蔵している。

 

 同氏は老人たちを主人公にした『エ・アロール』という小説を書かれた。 

舞台は進歩的な高級老人ホームで、その中での恋と性を扱っている。

 

 『シャトウ・ルージュ』では、ついに、渡辺氏が渾身の力を込めて

女性の性のすべてを読者に見せてくれた。 

 

 更に、亡くなる直前に『愛ふたたび』という小説を残された。 

70台の男性医師が、一人は40台、もう一人は20台の女性と男女関係に

あった。 突然、EDになった男性は慌てるが、女性たちはインサートしなく

ても満足しているから気にするなと言ってくれて安心するという話。

 

 老人の性という難しいテーマを渡辺氏流に美しく、爽やかに語っておられる。

然し、筆者は不満を感じた。 渡辺氏の美意識ではそれ以上踏み込んで書け

なかったのか、体力的に書けなくなってしまったのか、渡辺氏の作品としては

物足りなかった。

 

 他に、フランス人で医師、映画監督のイブ・シャンピ氏と結婚、そして、離婚

された大女優の岸恵子氏は女優になる前は作家志望だったそうで、2013年に

出された『わりなき恋』では、69才の独身女性に59才の家族持ちの男性が

恋をし、愛しあうという話しで、老人女性の性が鮮烈に描かれている。

 

 ドラマでは、外国映画だが女性を満足させるテクニックを若い男性が学んでいく

話しを2本見付け、別の世界を覗き見たような感じがした。 男の性と女の性が

どれだけ違うのかなど、まったく意識しないで、また、知ろうともしないで人生が

終わるところであった。 ドラマの中の男女の触れ合いの見方も違ってきた。

 

 努力の甲斐あってか、最近、神秘的ともいえる女性の性のほぼ全貌が見えて

きたのである。 男性は70才を過ぎて、EDとなり、燃えがらの如くなるのに

対し、女性は年齢を重ねても、性感が衰えるどころか、強くなることもある。

女性が主役であるが、ダンスのように、男性のリードも重要である。

 

 また、精神面、感情面とか複雑な要素もあるようだ。 即ち、相手との気持ち

の関わり方である。 所謂、「愛」があるか、無いかが重要なのである。「愛」

と言っても難しいことではなく、相手を大切に思っているか、喜ばせたいと思う

気持が充分強いかである。 これはデリケートな分野で、一寸した言葉や動作で

気分が変わってしまうので、お互い気を使う必要がある。

 

 男性の女性に対する、所謂、愛撫というのが、最も肝心な点で、部署、強弱、

頻度、間隔、順序など、女性の反応を見て発見を重ねていくのも、双方にとって

嬉しく、楽しいことである。

 

 さて、少し、一般的な話に戻るが、男女共に若い時から老齢に至るまで、生活に

取り紛れて、性に関すること、なかでも、男性の満足と女性の満足に大変なへだ

たりがあることに気が付かない。 極端な場合はセックスレスになって、

その話題すら長期間触れられないこともあるようだ。 「年だから」と。

 

 日本女性は奥床しく、自分から男性に催促もしなかったり、しても何の変化も

起こらないとそのままになり、大きな快楽と満足を知らずに一生を終える。

恥と思って、姉妹・友人にも相談をしないのが普通のようだ。

男性も女性も無知のために損をしていることに気が付かない。

 

 渡辺淳一氏の作品は男女の性を優しく描いて読者の共感を得たと思うが、

もし、未読なら、人生を無為に終わる前に読んで、愛する人を幸せにしては

どうか。 村山由佳氏の『ダブルファンタジー』『ありふれた愛じゃ

ない』も目覚めた女性の叫びと、筆者は感じている。

 

 もし、共感されたら、下記にメール下さい。 出来るだけ返信します。

  http://tedokunusi@gmail.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

カ ジ ノ 雑 感

 

 『カジノ法案』について語るつもりはありません。

 ただ、単に、筆者がカジノ好きで、海外の一部でカジノに遊んだ

経験とカジノに対する気持を呟きたいだけです。

 

(Part 1) ラ ス ベ ガ ス

 <豪 華 絢 爛> そのもの。 世界に二つと無いと思いました。 

もともとは砂漠の中のオアシスの周りに広がる牧草地(ベガスの語源)です。 

見どころが沢山ありますが、ホテルからホテルが離れていて、見て歩くのは大変。 

  普通は行かないのですが、オールドタウンという区域があり、ホテルではなく、

商店のようにカジノが軒を並べているので歩いて見て回れます。 

 上司と行った時は彼がブラックジャックが強く、彼が左端に座って、筆者が

右端に席が取れて、しめたと思ったが、カードの捨て方、貰い方で、彼に行く

べきカードを筆者が取ってしまい、クレームを受けたこともありました。 

 米国人はベガスというとショーを観に行くのです。 

カジノに入っても、小銭でスロットを楽しむだけの人が多い。 

 ロスアンゼルスに出張して金曜になり、ついでだから、ベガスに寄ろうと

したら、飛行機が満席で、レンタカーで走ったら6時間で着いた。 

道路が真っすぐだから運転が楽で疲労はありませんでした。 

ところが、今度はホテルの空きが無く、モーテルに泊まったら、

タオルが置いてなかった、などという、笑えない出来事もありました。

 ベガスはいろいろな見本市が開催されるので、訪問回数が多いのです。

筆者も米国滞在中2回見本市に行きました。

 なお、スリ、カッパライ、置き引きなどには注意が必要です。

 

(Part 2) アトランティックシテイー

 最近、閉鎖するとのニュースを聞いて残念に思っています。

 ベガスに較べるのは無理ですが、こちらはニュージャージーの海岸にあり、昔は蜜月旅行(ハネムーンともいう)で賑わったこともあるようです。 

 筆者の勤務する事務所とアパートからは車で1時間。 単身だったので、

毎週日曜の午後はカジノの二階にある日本レストランに食事に行き、

一寸だけカジノで遊ぶのが楽しみでした。

 

 (Part 3)    リ   ノ

 リノもベガスと同じネバダ州にあるカジノです。 

どんなところか興味があり、ホテルに一泊してスロットで遊んできました。 

ベガスとは違って規模も小さく静かな街でした。

 

(Part4)スイスのチューリッヒで覗いたカジノ 

 スイスのレマン湖のほとりのチューリッヒに一泊したときにちょっと

覗いたカジノのこと。 教科書でレマン湖の白鳥の話を読んだことを

思い出し、湖畔まで歩いて行き、覗いてみましたが、白鳥はいませんでした。 

夜、時間つぶしにカジノに連れて行って貰いました。 驚いたことに、入口の

フロントでパスポートを預けさせられたのです。 ブラックジャック

テーブルでちょっと遊びました。

 

  (あ と が き)

 カジノに対する見方は人によって違うかも知れません。

 筆者の体験では、カジノにはギャンブル性は無いと思いました。

 但し、既存のカジノの在り方に納得はしていません。 

 デイズニー、ユニバーサルのような、家族で楽しめるテーマパークが

ある。 ゴルフコース、テニスコート、スイミングクラブ、サウナ、

スパなどの総合リゾート施設もある。 見本市会場は独立して存在

しています。 日本のカジノはそのような健康・娯楽施設の中に入れた

複合・総合施設を目指したら、相乗的な経済効果が期待できるのではない

でしょうか。 技術日本だから、世界に誇れるものが出来るでしょう。

海外から遊びに来る人も増えるでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

咲かない蕾(つぼみ)後編

 (第三話)短大出身の丸の内OL

 同じ会社の同僚と数人で来ていた。 

目立たず、小柄で、細面と好みのタイプだった。

 帰りは二人きりになり、自宅まで送って行った。

高級住宅地の門構えのあるお宅で、気が怯んだ。

 空が青く、上天気の日曜日、遊園地デート。

池のほとりの葦の背が人の姿を隠すほど高く生い茂っていた。

葦の葉をかき分けながら、池に向かって進んで行き、並んで腰を下ろした。

抱き合っているうちに、彼女を押し倒してしまった。

ついスカートの中を見てしまい、下着をずり下してしまった。

興奮のあまり、頭の中が真っ白になり、後の事は覚えていない。

 次の日、彼女のオフィスに電話すると、「お蔭で風邪をひいた」と

叱られた。 まるで、「折角チャンスをあげたのに無駄にして」と

怒られた気がした。 当然、ジ・エンド、フィニ、終わり。

 

  (第四話)もう一人の丸の内OL

 ダンス講習会で顔は見ていたが、大柄で、派手な感じで、敬遠した女性。

 こちらも東京駅のお濠端にある総合商社に就職して昼食に出掛けた帰り。

横断歩道ですれ違い、挨拶を交わし、名刺を渡したが、それだけだった。

 ところが、ある日曜日、突然彼女のほうがこちらの自宅に訪ねて来た。

帰りは散歩がてら、話をしながら、送って行った。 六本木から渋谷まで

歩いてしまった。 それは話の内容が彼女に対して気の毒なものだったから。

簡単に言うと、こちらは既に結婚するつもりの相手が居り、彼女の気持ちには

応えられない、ということ。 彼女は気が強そうで、平気な顔をしていた。

 申し訳ない気持ちで、「夏休みを取って東北旅行をするのだが、彼女は

父親の反対で一緒に行けない。 良かったら一緒に行く?」と訊いたら、

彼女は喜んでしまい、翌日東京駅前の旅行代理店で一緒に周遊券を買った。

 然し、当日、上野駅のホームで待ったが、彼女は姿を見せなかった。

 もし、一緒に旅行に行ったら、彼女と結ばれたかもしれない。

 彼女の気持ちは分からないが、興奮して行動を起こしたが、出発までの

時間が空いていて、その間に冷静になり、思い直したのだろう。

ややこしいことにならず、彼女の賢い選択に感謝しなければいけない。

 

    (あ  と  が  き)

 文通というのは顔を見ていない。 手紙の文字が綺麗で、文章が女性らしく

勝手に思いを寄せることは充分有りうる。 会ったとたんに、印象が変わり、

自分の気持ちの変化に驚きつつ、興味を失うことは仕方が無い。

 他方、社交ダンスの講習会という邂逅のしかたは、相手の選択範囲という

点では狭い。 文通は全国が対象だが、ダンス講習会で会う相手は都内在住に

限られ、お互いに実家住まいだから、濃い関係に進むのは困難である。 

むしろ、大学生とか専門学校生徒で地方から出て来て、アパート暮らしの相手に

的を絞った方がより魅力的な青春時代を楽しめるのだろう。

 咲かない蕾(つぼみ)ではなく、咲くような環境にある蕾を探そう。 

 

 

 

 

 

 

咲かない蕾(つぼみ) 中編

   社交ダンス講習会で知り合った女性たち

 将来は総合商社に就職し、海外勤務を目指していたから、外国人との

付き合いで、社交ダンスは必須と考えた。

 大学3年の夏休みに、六大学の社交ダンス競技会で上位入賞した学生が

運営する講習会を見付けて、集中的に習った。

 ステップを覚えたらすぐに女性会員と踊ることが出来た。 毎回講習が

終わるころには、仲良くなる女性が見つかり、帰りは即デートとなった。

 

   (第一話)初めてのガールフレンドは看護師の卵

 彼女は高校のあと、看護学校に入学ー卒業、その上の高等看護学院在学中。

独りで来ていたようだが、さすが看護師の卵、度胸が良かった。

 寮生活だし、勉強が忙しいので、ゆっくりする時間は無く、デートは寮に

近い渋谷かせいぜい新宿の同伴喫茶。 店内は充分暗くてシートの背中も高く、

密室気分。 そこで初めてのベーゼ。 お味は別にスイートではなかったが、

行為そのものには夢中になった。

 やはり、看護師だからか、全てに大胆で積極的。 直ぐに実家に連れて行き、

家族に紹介された。

 こちらは遊びたい気分なのに、彼女は勉強が忙しく、思うようにデートに

出て来れない。それに、こちらとしても、将来、海外勤務を志しており、

彼女は保健所か民間企業の保健婦を目指していた。 お互いの将来の道が違い、

結婚は難しいのではないか。 本来、女性の方が気が付くべきなのに、彼女は

ひたすら勉強と実習で将来までは気が回らないようだった。

 こちらは暇だから、そんな彼女にいらだたしくなり、他の女性とデートした。

 やがて、彼女から時間が取れるから会いたいと連絡が来たが、正直に、会って

くれないから、他の女性に乗り換えたと返事をしたら、そのままになった。

 彼女としたら、腹も立ち、がっかりもしただろう。 然し、彼女にとっては

それで良かった筈。 幸せな結婚をして、孫も出来ているだろう。

 

     (第二話)女子大の事務員

 次のデートの相手は女子大の事務員で、且つ、キャンパス内の寮に

住んでいた。 この人も積極的で、直ぐキスをする仲になった。 

日曜に遊園地デート。帰り道に旅館の前に差し掛かり、一寸立ち止まり、

懐具合を考えたが無理と判断、素通りしたら、電車に乗ってから、彼女

「勇気ないわね」とつぶやく。

 頭にきて、あとは誘わなかった。

咲かない蕾(つぼみ)前編

 折角、縁あって近付いて来てくれたのに、結ばれなかった女性たち。

蕾(つぼみ)のまま開花しなかった花たちとの交流。 

大学3~4年という短い期間に起きた、青春時代のこぼれ話を集めて

みました。

 

   文通で知り合った女性たち

 大学に合格するまでは受験という壁があって、女性との交際が全く

無かった。

だから、大学に入学すると、直ぐに雑誌で見つけた、地方の文通希望の

女性と手紙の交換を始めた。 そのうちで、直接会うことになった女性

たちとのお話し。

 

  (第一話)関西方面から東京の短大に入学した女性

 手紙で打ち合わせ、JR中央線のある駅の近くの彼女のバイト先で

会って、立ち話をした。 遊び相手には向かない気がして、それ以上の

進展は無かった。

 

  (第二話)東北地方の漁港のある町の図書館司書

 夏休みに旅行をしたいと連絡したら、地元のお寺にただで泊めて貰えるから、

遊びに来ませんかと云われ、喜んでその話にのった。 お寺のご家族みんなで、

まるで親戚のように暖かくもてなしてくれた。 お子さん達と毎日リアス式海岸

を見てまわり、すっかり仲良くなった。 

文通相手の女性も毎日仕事の後、お寺に来て食事の後片付けをしたり、奥さんと

話をしたり、良く出来た女性だった。

 然し、遠距離であり、彼女との文通は途絶えた。 大分経ってから、東京に

出て来たと便りがあったが、こちらは既に結婚しており、返事をしなかった。

 他方、お寺のご家族とはお子さん達が東京の大学に進学したこともあり、

長い間年賀状を交換した。

 お世話になった図書館司書の彼女との文通を続けなかったことは、今になると

恩知らずな自分に腹が立ち、後悔の念を禁じえない。

 

私のアメリカン・ドリーム

 私は25年勤めた会社を、50才という中途半端な年で辞めた。 定年までまだ15年はあったし、厚生年金だってまだ25年しか掛け金を払い込んでおらず、満額貰うのにはあと15年払い続けなければならなかった。 然し、私は私のアメリカン・ドリームを追いかけたくて、会社に辞表をだした。 理由は「一身上の都合」という決まり文句のみ。

 もとの直属の上司で人事本部長に昇進していた先輩が晩飯をご馳走してくれた。 ちなみに、ほかは誰も送別会をしてくれようとはしなかった。 彼は会社の待遇に不満でもあったのかとか、他社の引き抜きかと、訊いてきたが、そんなことではなく、長年アメリカに住んで、やってみたい事業があるのだとだけ、説明しておいた。

 アメリカの住宅事情は日本とは大分違い、若い時は親元かアパート暮らしが普通である。 結婚すると小さい家を買う。 家族が増えると大きい家に買い替える。 すべて、普通は中古の一戸建て住宅である。 老朽化すると、建て替えではなく、買い替える。 新築住宅は開発業者が建てる。 古い家の建て替えもするが、新しい住宅団地を造成して、一度に大量に供給することもある。 一戸の価格は日本とは大違いである。

当時のいい物件でも平均価格は2500万円くらいだった。 

 日本から駐在する場合、支店長とか社長だと、お客を呼べる豪華邸宅が必要だから

会社が購入したり、賃借したりする。 稀に相当長期滞在を覚悟するひとが、ローンで購入することもある。 価格が上昇中なら帰国時に売却して利益が出ることもある。

簡単に売却が出来なくとも、帰国後会社が売却をしてローンの処理をしてくれることもある。

 他方、一般社員は中古の一戸建てを借りるのが普通である。 ところが、上記の通り

米国は売買が普通で、賃貸物件は少ない。 そこに目を付けた中国人あたりがローンで

購入、割高な家賃で日本人に貸し、差額で儲ける。 ローンにすれば金利が経費で落とせるから、税金対策もばっちりである。 

 私も、ここに目を付けた。 現金があっても、わざとローンで購入、賃貸にまわそうと考えたのである。

 私の次の事業は、店舗の買収・賃貸である。 商売というものはうまくいかないことがおおく、閉店に追い込まれることが多い。 引き継いでくれるテナントを見付けるのは容易ではない。 そのような物件をまるごと買いたたいて購入、貸しても良し、自分で営業に使ってもよい。 自分で商売に使うとなれば、開店資金を相当節約出来るというものである。 

 米国の特殊事情に、日本とは違い、車社会であり、住むところ、食べるところ、遊ぶところが散らばっていて、店舗が10件くらい集まっているケースが多い。 そういうところの店舗なら利用価値は多い。 あとは、はやるかどうかである。 

 米国で気が付くのはどこへ行っても中華料理店はある。 しかし、日本食となると極めて少ない。 鉄板焼きの「べにはな」は全米展開していたが、数は多くなかった。

意外なことに、米国人は食の変化を求めるのと、ダイエット効果を期待して、寿司を好むのである。 しかし、値段は割高で、握る職人が少ない。 

 前置きが長くなったが、もうひとつ、特殊事情がある。 それは、米兵が韓国駐留後帰国する際、韓国女性を連れ帰ることが多い。 ところが、彼女たちは永住権を貰って離婚し、夜の仕事で生活することを厭わない。 そういう女性と多数つきあい、私が店を持つときは協力してくれるか聞くと、みんな喜んで手伝うと言ってくれた。

 私は、当時日本で寿司ロボットのメーカーが二社はあることを掴んでいた。 これを

米国に持って行って、使ってみたかった。 店舗は米国にいる韓国人女性とレストラン・バーを開き、そこに寿司ロボットを使った寿司バーを置くという構想であった。

 以上、不動産業から入り、飲食店経営で全米チェーンを造り上げるのが私のアメリカン・ドリームであった。

 然るに、当時の日本人に対する米国入国ビザの発給は意外に厳しく、観光ビザがおりなかったのである。 その後は90日間フリーとかになったようだが。 かくして、私の夢は夢で終わったというお粗末でした。